禁酒4日目

 恋に落ちた。相手はジムのインストラクター。

 

 俺自身が根暗な人間なので、その逆を求めてしまう。「下へ向かって打つよっ!」という、その明るい言葉に、恋に落ちた。彼女のプログラムに出るたびに、俺は恋に落ちている。

 

 格闘技の動きをベースにしたプログラムだった。一応俺はプロの端くれだ。皆の前でやっている彼女の蹴りやらパンチやらに、改善点はある。でもそんなのはどうでもいい。可愛らしいから。あと声が良い。8歳くらいのショタの声っぽい。

 

 根暗な俺は根暗な女とこれまで付き合ってきた。池の水底に沈み込む落ち葉のように、しっとりとした関係性だった。あるべきものがあるべきところに落ち着くような、そんな安心感。やがて飽きては明るさを求めて水面へ浮き上がっていく。その繰り返し。

 

 禁酒は今日も続いている。朝は少しダルさを覚えた。中学生くらいのときに、普通の朝がそうであったように。朝起きるなり元気いっぱいだった昨日までと違い、禁酒の影響は少しずつ穏やかになり、日常へ溶け込んできている。

 今度はいつまで、この日常に耐えられるだろうか。それは、あのインストラクターとの恋にいつまで落ちていられるかを問うことと同義だ。恋はするものではない。落ちるものだ。地獄と同様に。

禁酒始めた

 一昨日から禁酒している。俺は19歳から毎晩飲んでいる。量は大体500mlの本搾りを一本飲んで、それからハイボールだ。700mlの角瓶は2日で無くなる。肝臓の値は今年の8月の健診で要再検査になった。それから検査はしていない。煙草は今年の正月から辞めている。禁酒は時々するが、1週間と持たずに終わっている。

 

 禁酒初日

  2020年10月10日(土)

 酒を飲む前から吐き気があった。ここ何ヶ月か、そういう日が続いていた。鳩尾の右側と背中が痛む。肋間神経痛か膵炎か分からない。または肝臓かもしれない。そう悩むのが嫌で酒を辞めることにした。

 何もすることがなくて、夜8時には横になる。いつの間にか寝ていた。

 

 禁酒2日目

  2020年10月11日(日)

 することが無い。午前からジムでローイングで背筋を鍛え、一人で映像プログラムに勤しむ。どんな業を過去に背負えば、日曜朝からテレビの前で飛び跳ねる独身おっさんが生まれるのだろう。

 昼飯は食う気にならず、富士そば茎わかめご飯と蕎麦で済ませる。500円。休日昼食の最低価格を更新。

 その後は何年かぶりに本を読む気になる。『椿山課長の7日間』を6時間かけて読了。こんな長いこと本を読んだのはいつぶりか。

 夜。酒を飲みたくなったので、麦茶をがぶ飲みした。横になって『金田一少年の事件簿 電脳山荘殺人事件』を読む。中々寝付けず、読了。隣の国分寺市が出てきていて、少し喜ぶ。

 

 そして今日。禁酒3日目。

 本当は今日、禁酒は終わるはずだった。しかし禁酒終わり予定だった、すき焼きの会が無くなったので禁酒を続けてみる。ついでにこうして記録をつけ始めたというわけだ。

 寝起きは快調。あまり腹も減らない。頭は冴えている。行きの電車でドラッカーの『マネジメント』を読む。朝の電車で眠らずに読書するなんて、何年ぶりか。前に禁酒をしてみた時以来だ。

 仕事をいつも通りに終わらせ、夜はジムへ。少し気になっている女性がインストラクターを務めるプログラムへ出る予定だ。

 酒を飲みたいとは思わない。疲れたので早く寝たいと思う。

 

コロナにのる

 新型コロナウイルス感染症とやらが流行っているらしい。

 俺の職場も頑張って対応しようとしている。プリクルに派遣したり病床を空けたり、できることから頑張ってる。

 その影響で俺も在宅勤務などを行った。

 

 これはとても快適だ。 革命的だと言っていい。

 下らない電話だの愚痴だの文句だのそれら非生産的な一切、一切を聞かなくて良い。

 

 色々と書こうと思っていたのだけれど、今夜はスーパームーンらしい。それだけ書けば、なんだか十分だ。

あと「死霊」を頑張って1冊読み終えた。

 気付けば半年ほど放置していた。このブログ。俺にとって大した意味などないのだろう。

 色々と変わったことはあった。でもそれも小さなことだ。たとえばドストエフスキーの「悪霊」を読んだことや、近所に海鮮丼の美味しいお店ができたことや、コロナウイルスが流行ったこと、親しい数人の人物が亡くなったことなんかだ。

 これらのひとつひとつは大きな意味を持ち得るのだし、それが俺の人生に影響を与えることだってあったろうと思う。でもこれらの出来事と俺の年表とは合わなかった。これらの出来事は俺の年表の中では下の方、南アメリカ大陸パラグアイあたりで起きたことのように記されている。これから起きることだってそうだ。こうした類の出来事が俺の年表の中心に記されることはない。俺の年表の中心は高校生の時に飲んだ、真夜中のマティーニの記憶以降、真っ白になっている。

 

 探している。俺の年表の中心を貫く出来事を。それはもしかしたら今も心臓の真裏でひっそりと針を刺すタイミングを探しているのだろうか。そうであることを願ってばかりいる。

まずいんだよ梅割りなんて

生きることの辛さを感じることがある。

それは仕事で。

 

しかし。

誰かが俺を怒ったわけではない。

誰かが俺のミスをあげつらったわけではない。

 

そうした辛さではなく、たぶんそれは「孤独」と呼ばれる辛さ。

 

飲み会の最中につまらなさを顔に出した。

 

つまらないから。

仕事の話は。

上司連中の話は。

 

こんなことに「一生懸命」になれる奴らの話は。

 

俺にとって楽しいことは他にあるのだ。ここで話を合わせるよりも、はるかに楽しいことが。

 

どこにあるのだ、それは?

俺が辛いのはそこだ。

ルーは辛口を使った方が美味しい。

 目が覚めた。スマホを取り寄せると、時刻は6時20分。昨夜の赤ワインが少し残っている気がして、歯を磨く。

 

 7時を待って、近所のスタバへ。

 水出しコーヒーを注文する。どうしても「コールド・ブリュー・コーヒー」とは言えない。こんなめんどくさい名称、いちいち呼ぶか。心の中でそう思いつつも、あくまでにこやかに、可愛らしい店員さんへ告げる。「水出しコーヒーを頂けますか?」と。

    会計を済ませたところで店員さんに尋ねられた。

「お客様、あずきは大丈夫ですか?」

    えぇ大丈夫ですよ、と答える。すると、

「もし良ければこちら、新商品なんですが、ご一緒にどうぞ」

  と、小さなケーキを渡された。マニュアルなのだろうが、ほかのお客さんには勧めていなかったところをみると、あの店員さんは俺に一目惚れしたに違いない。今度結婚しようと思う。

 

 しかし今日のところはとりあえず、仕事をする。どこかから押し付けられた、プレゼンの口述原稿作成。こんなもの、話すやつが自分で作れと思う。人が作った資料とか原稿を使ってプレゼン出来るやつを、俺は素直に凄いと思う。俺だったら、人の作ったよく分からないものを使って他人へ説明などできないからだ。

 

 街は雨降り。窓ガラスの向こう、雨にけぶる街を見やる。街の音は雨の中。行きかう人々の話し声も雨の向こうで、いつもより遠く聞こえる。雨に揺れる傘の色は、海の底よりあおい青。空はどこまでも続く雲をたたえ、この街を雨で包んでいた。

 

 1時間ほどでテキトーに仕事を終える。

 一杯飲みたい気分だった。が、夕方からは隣町で演武をすることになっていた。だから酒は飲めない。近所のスーパーで大量のトマトと玉ねぎ、少しのひき肉を購入した。

    家へ帰り、これらの食材を使ってカレーを作る。水は使わない。野菜から出る水分だけで作る。ひき肉を炒めて玉ねぎとトマトをぶち込み、あとはひたすら煮てルーを加えるだけ。とてもシンプル。

 

    料理をしていると気が紛れる。嫌なことは考えないで済む。ただ料理の出来だけを気にしていれば良い。懸念が無尽蔵に派生する恋愛や仕事とは違う。そういうところが気に入っている。単純に出来ているのだ。俺も、このカレーも、そして多分、これから死を迎えるまでの毎日も。

 

愛しさと切なさと心弱さと

  初めて競馬へ行った。知り合いに誘われて。

  賭け事は嫌いだけれど、悪くなかった。なにしろ競馬は100円から賭けることが出来るし、競馬新聞の予想通りに賭ければその新聞代くらいは稼げるのだ。

  

  一番面白かったのは、レースの終盤で玄人らしく酔っ払ったおっさんが「そのまま、そのままだ!  余計なことすんな!」と叫んでいたことだった。おっさん自身が余計なことをしに競馬場へ来ているのに、その言い方はとても面白かった。

 

  午後1時から5時前くらいまで競馬場にいて、結果はプラス500円くらいだった。時給100円。ハイボールを飲みながらそれだけ稼げれば言うことはない。

  

  しかし競馬を見ているとどうにもやり切れない気持ちになる。競馬新聞には勝つ馬の予想が書いてあって、特に注目にも値しないような馬も沢山いるわけだ。そして結果もおおよそ、その通りになる。期待されていない馬は大抵、実際に結果を出せない。どんなドラマが裏にあろうが、そんなことは誰も見ていない。勝つか、負けるか。酔っ払った人間が、そこだけに金を賭ける。そして負けが続くと彼らは馬刺しに姿を変えて食卓にあらわれるわけだ。

 

  やり切れない。と、思う。どうにかすべきかもしれないと思う。

  思うだけだ。

 

アイドルが堕ちるのは興奮する

  俺の親戚にアイドルがいる。

  あまり有名ではないが、アイドルグループに属して撮影会やらコンサートやらをやっているようだ。アイドル事情はよく知らないが、いわゆる地下ドルというのに近いのかもしれない。

 

  時々、彼女のツイッターを見る。するといつだって相変わらず、バカな男どもから金を巻き上げている。最近は何かのオーディションだかトーナメントだかで、他の人と競っているようだ。どうやって競うのかというと、投票サイトで得票を得たり、彼女の写真を買ったり(10枚まとめて買うと、1.4倍のポイントが入るらしい)、そういうことをしてポイントを稼いで競うのだ。そして彼女のツイッターにはいつだって投票方法の解説と写真の買い方が載っている。

 

  金の使い方は自由なので写真を買う男たちを否定したりはしない。ただ「バカだなぁ」と思う。彼女が勤め先の店長と不倫をして妊娠した挙句、中絶して退職した事実を知ったとしたら彼らはどうするのだろう。一度見てみたい。

 

  そもそも彼女にしても、毎日毎日同じように投票方法の解説を呟くというのも芸がない。「優勝したらAVに出ます」くらい宣言出来ないものだろうか。そしたら俺も投票してやっても良い。あるいは他の人にないアピールポイントを作るのだ。YouTubeで下らない放送をするくらいなら、ベクトル解析とかドイツ観念論について講義をした方が良いんじゃなかろうか。そして視聴者と徹底的に議論して論客系アイドルの地位を確立すれば良い。そんな女の子の水着写真なら、俺も欲しい。

 

  この子はたしかに可愛かった。昔から可愛いことで有名だった。しかしいま、投票ページでずらりと並んだ彼女の写真を見てみる。少しも可愛いとは思えない。可愛さというのは確かに顔の造形もあると思うのだけれど、それが作為なくそこにあること、無造作に自分の近くにあることに由来しているのではないだろうか。こんなスタジオでメイクをばっちりして飾り立てた写真では、無垢な神聖さには勝てない。とかいうそんな難しい理由より、単純にもう良い歳だからだ。もう四捨五入すると30になるんじゃないかと思う。「いい加減夢とか言ってないでまともに働きなさい」という親戚のおっさんらしい説教しか出てこない。でもAVに出たら教えてね、と思う。そのためにも俺は絶対に投票もしないし、写真も買わない。

 

  夢を追っても良いけれど、それは色んなものと引き換えだ。そして追えば追うほど、差し出すものは大きくなる。 夢とキャバクラとはよく似ている。