あと「死霊」を頑張って1冊読み終えた。

 気付けば半年ほど放置していた。このブログ。俺にとって大した意味などないのだろう。

 色々と変わったことはあった。でもそれも小さなことだ。たとえばドストエフスキーの「悪霊」を読んだことや、近所に海鮮丼の美味しいお店ができたことや、コロナウイルスが流行ったこと、親しい数人の人物が亡くなったことなんかだ。

 これらのひとつひとつは大きな意味を持ち得るのだし、それが俺の人生に影響を与えることだってあったろうと思う。でもこれらの出来事と俺の年表とは合わなかった。これらの出来事は俺の年表の中では下の方、南アメリカ大陸パラグアイあたりで起きたことのように記されている。これから起きることだってそうだ。こうした類の出来事が俺の年表の中心に記されることはない。俺の年表の中心は高校生の時に飲んだ、真夜中のマティーニの記憶以降、真っ白になっている。

 

 探している。俺の年表の中心を貫く出来事を。それはもしかしたら今も心臓の真裏でひっそりと針を刺すタイミングを探しているのだろうか。そうであることを願ってばかりいる。