休みの真ん中でいきていくために

 三連休の真ん中の日。何をすることもなく、昼過ぎまで惰眠を貪り、夕刻になってようやく、のそのそと家を出る。家を出て、どこへ行くというあてもない。ただこの町のあいまをこそこそと歩くだけだ。暗くなるのを待って、隙間をこそこそ歩く。ゴキブリか。どこかで誰かにつぶされるのが、多分俺の人生の最後だ。

 

 南の空に花火が上がっている。どこかで花火大会をやっているらしい。聞くところによると、あの花火というのは――特に、こんなにも遠くから見える大きな花火というのは――ひとつ打ち上げるだけで数万円から数十万円かかるらしい。俺は花火には美しさを覚えない。しかし一発打ちあがるごとに、「あ、五万円」やら「うわぁ、これで五十万だ」と計算しながら、夜空に一発ずつ爆発する金のことを考えると興奮する。あまり人生を楽しめないタイプの人間だ。人間なら一発せいぜい、そうだな、三万。俺自身、どこか遠い空の彼方で爆発してしまえばいい。

 

 梶井とかいうオッサンが、レモンをビルの書店で積み上げられた本の上に置いて、にたにたしていた、これまたオッサンの話を書いていた。そしてそれを思い出して俺もにたにたする。あのレモンは爆弾なのだ。だからビルと一緒に俺は爆発する。それを想像してにたにたする。世の中はにたにたするオッサンで溢れている。世も末だ。

 

 町を歩いて、行きつけにしている酒屋で宮城峡を買った。これを飲みながら夜を過ごす。水さえあれば、ゴキブリは生きていけるという。笑える話だ。