ガールズバーではない

 帰りに時々俺はバーへ行く。バーへ行って酒を飲む。家で飲むのに比べて何倍もの金をかけて、家にあるような酒を飲む。薄暗いバーの雰囲気が好きだ、というのは建前で、本音はカウンターの内側にいるお姉さんが目当てだ。独身のオッサンは、お姉さんを好む傾向がある。

 

 とはいえ、俺も大人。ウェイ系の大学生のように下品に絡むようなことは間違ってもしない。大人は静かに酒を飲む。バーとは、羽ばたくことに疲れた鳥たちが羽を休める、止まり木なのだから。

 

 止まり木に羽を休めながら、ロック・グラスの氷を透かして、彼女の姿をぼんやりと視界に入れる。「今日もカワイイね!」と心の中でガッツポーズを取る。しかし決して話しかけはしない。あとで、彼女のフェイスブックツイッターとインスタをチェックするくらいだ。このストーカー気質が、いつか俺の人生の役に立つと良い。ついでに、彼女とお付き合いができると良い。

 清純なお付き合い。デートでバーになど、決していかない。行くとしたらそう、美術館だ。ピカソゲルニカを描かせたのは誰かについて語り合いながら、よく晴れた日曜日を過ごす。興奮する。

 

 そんな愚かしい妄想をしながら、数杯のウイスキーを飲み、数枚の紙幣で支払いを済ませ、20分ほどでバーを出る。外はすっかり暗く、生ぬるい風が吹く。軽く酔いのまわった頭で家路につきながら、ふと考える。ここでさっきの彼女に「ピカソゲルニカを描かせたのは神だと思う?ナチスだと思う?」とか聞かれたら、それは非常にめんどくさいな、と。

 

 それはやっぱり、非常にめんどくさい。だからこうしてバーなんかへ通うのだろう。

 バーへ通うのと、めんどくさい付き合いを引き受けるのと。どちらが愚かしいのか知らないけれど。