目玉の話によせて

 高貴なものを汚すというのは快感だ。フランスの誰だかいう哲学者を引くまでもなく、誰しも知っている真理だ。

 でもそれは決して高貴であることが必要なわけではなくて、要は自分と程遠いもの、手の届かないものであれば良いのだ。たとえば人妻モノを好む人たちに訊ねてみれば、きっと「もう誰かの妻になって手の届かない女性をお持ち帰りしたいのだ」という熱い思いを吐露してくれるだろう。また逆に、ロリを専門とする方々に「ロリとは何ぞや」と問えば、「かつて持っていた、しかし今はもう手の届かない真っ白なイノセントに性的興奮を覚える」とかなんとか、そのまま取調調書に記せそうな供述を得られるに違いない。

 

 高貴なものを汚すことは快感だ。

 もしこの言説が正しければ、これら愉快な人間たちは、自分自身がそれらの理想とは縁遠い存在であることを自ら開示していることになる。このことに自覚的である人間は、やがて、自分自身が高貴なものになりたいと欲する。

 

 きわめて自然なことだ。それは自己に対する深い洞察が行き着く、必然ですらある。そうして、かつて自分がぶちまけていたよう、欲望のなせるまま無遠慮に求められたい、と欲する。すなわち、憧れていた女性になりたい、という思い。

 

 そういうわけなので、俺が今日2万円を払って、「手を縛られて逆レイプ的に責められたいです」という欲望をあらわにしたことは、まっとうなことなので誰にも非難されるいわれはありません。どうぞご留意ください。